どんどん作品を作れない体になっていく。。。
実際には、「この作品を作っている事で自分が今どんな状態であるのか」というのが分かってしまってイヤだ。
それは感情の面じゃない。
描いてみたらトゲトゲしてる絵が出来上がった→イライラしてるんだな
という事ではなく
自分が意識的な無意識で描いた「イライラしているような絵」=そう構成されたものは「イライラ」というイメージで頭が捉えているんだな
というのが分かってしまうのがつらい。
つまり、「かわいい」だとか「きれい」だとか、どんな意図を込めたものでも記号的な「イメージ」としか捉えられていない。
昨日観た、さんまとたけしのハチャメチャなやり取りも、さんまとたけしが「ああいう関係」だと文脈を知ってる人があの芸を見るとアハハってなるのかもしれないけれど、その文脈を知らない私たち若者があれを見て、さんまとたけしの間にある関係を通り越してあの様子を記号的なイメージ「ひどい」「ありえない」に変換される。
そういう「イメージ」にしか捉えられない社会が嫌だ(って言うと疎外する事になるのでどうしようもない)。
「かわいい女の子」ならOK。
そういう世の中。
世の中に疑問を持った人が作品をつくる→「意味がわからん」「きもちわるい」
じゃあ結局自分が満足する作品を作っていくしかないじゃん→資本社会に飲み込まれて「商品化」する。
社会にどんどん飲み込まれていく。。。
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