というわけで年賀状は拷問グッズにドイツビールを注ごう。(確定案)
送ってもオッケーな人向けなので、友達にはちゃんと羊送るけど
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当たり前に人は拷問グッズを見て拷問グッズだと思うって決めつけちゃったけど別にナスとか見てあ、これ使おって思う人もいるよなあ………????
だからまず人は何を見てそういった考えに至るのかを考えなきゃいけない。
細長いものがあったら?いれたい。
ざらついたものがあったら?擦りたい。
犬がいたら?舐めてもらいたい。
ハ?(難聴)
今ふっと思ったけど、西洋の方で使われてた苦悩の梨ってやつにケーキ乗っけて食べるってだけでも不思議な感じしない??
もしそれを表現した時に、「ケーキは何か意味があるのだろうか…」「何故本来性器と関係する場所にケーキがあるのだろうか」と考えそうだけど、私は拷問グッズが拷問に使われてないってところに意味を感じる。
やっぱこのテーマはやりがいあるように感じるけどまだイメージ上でしかないからただの妄想に過ぎない。
実際に購入して色々検討してってなると、ようやくハンターハンターの試練の門を今から開くよ!っていう段階になると思う。そして押せない、と。
でもやっぱなんか面白いんだよなあ拷問グッズとか
見たら拷問グッズって分かるくらいに拷問グッズそのものがブランド化している。
でもこれは機能的な面は全く無視していて、虫が苦手なのにも関わらず「カマキリのカラダのプロポーションはとてもいい!」と言ってるのと同じ。
しかしながらそれらを利用する人も、グッズのデザイナーも機能重視。
形は後からついてきたかもね。
これくらい抑揚を付けて痛みを味わってもらおう、とか。
表面だけを見ていて中身見てない。
機能的な面を奪うとただのゴミになるけど、それを何かに利用出来ないかなって思ってる。
拷問目的ではなく、拷問にしか使えない道具を拷問以外に利用すると何かの発見が出来るんじゃないかなって。意外性を見つけ出したい。
機能を失った拷問グッズってだけでも奇妙な形しててめちゃ面白いけどね?笑