忍者ブログ
「 無題 」
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

無題
好きなカップル/ペア/コンビの最終的な愛の形としてセックスしてしまえ!というのがあるけれど笑

物語の中のキャラクターもセックスを愛の最終地点だと思ってるんですよね。

それってすごく気にくわない笑


通常のラブストーリーであれば、セックスをした後に喧嘩したり別れたりするなど、<セックスは愛の最終地点である>というのを肯定して愛情度を下げるという構成。

でもじぶんが仕掛けたいなって思うのは、登場人物に<セックスは本当に愛の最終地点なのか?>という疑問を持たせたい。

これはじぶんからの疑問でもある(それをビットに課せているけど笑)
んで、ビットはそれを解明出来ずにジーンとの関係を終えてしまう。何故なら作者がそれを一番分かってないからです。


そこで、例の漫画「…すぎなレボリューション」では、その一つの答えが描かれています。じぶんはそれがすごく残酷だなって少し感じてしまいました。


…すぎなレボリューションの彼らも、セックスで本当の愛が得られなかったし、じゃあセックス無しで愛せるかと思ったらそれもダメだったんです。

セックスは確かに愛の記号ではあるが、そんな簡素化したものでは自分たちの愛を説明することができない。
だから彼らは最後あんな感じに…(気になる人は漫画購入!笑) すごくじぶんは悲しくなったね。(しかし、バッドエンドではないのです!)



この手のテーマに関しては貴族では語ってないと思う。貴族上のセックスの役割は従う者と従われる者の説明をしているので。

本当の愛って何だろう、という問いをじぶんはドラッグで誤魔化して、答えを曖昧に、、じゃなくて、見せなくしている。だって分からないから。
PR
PREV ← HOME → NEXT



忍者ブログ [PR]
 △ページの先頭へ
Templated by TABLE ENOCH