ならディオールの口から言ってほしい。
君が盲目になったら僕を愛せるのか。or僕の首が無くなっても僕を愛せるのか
アイロニーはyesとは即答しないのかもしれない。
つまり自分の欲求を満たすためだけに彼が存在しているということ。彼はエゴだから
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今日ほんとにプレゼン失敗した。
自分が何を言ってるのか分からなかった。
言いたい事はあるけど、それが文章としてまとめられない。
このようにデジタル上で文章を修正する環境になれているから、実際に話すと箇条書きにしか出てこない。
文章が立てられない。
コミュニケーションが取れない。
前にアイロニーはディオールがもし子どもになっていたら愛せるのかを考えた。
アイロニーから見ると「彼は犯罪者」という肩書きを持っていて、それを操っているから「犯罪者を操る自分に酔う」っていう感覚。
でもディオール→子どもにしたことで「彼は犯罪者だ」という肩書きを取り上げる。
彼は愛すのかってなると、答えは愛す。
何故なら、ディオール(子ども)の記号的な顔が「彼は大人の時に犯罪を犯す」と認知されるから。
絵とか、スタイルによる小さいグループのかたまり。
ああ、こういう系統のなんだな、って既にグループの枠があるっていうのが嫌悪。
私はもうぱっつん描いてた頃のグループから離れてるからその人たちがターゲットになる絵はもう描いてない。から離れたい。
その社会に対してポジティブに考えられたら成功はするし、ネガティブに考えたら犯罪に走る。
ただ、成功/犯罪は自分にとって意味があるのかと考えると。。。
もうあまり考えないようにしてるんだけどね
どんどん作品を作れない体になっていく。。。
実際には、「この作品を作っている事で自分が今どんな状態であるのか」というのが分かってしまってイヤだ。
それは感情の面じゃない。
描いてみたらトゲトゲしてる絵が出来上がった→イライラしてるんだな
という事ではなく
自分が意識的な無意識で描いた「イライラしているような絵」=そう構成されたものは「イライラ」というイメージで頭が捉えているんだな
というのが分かってしまうのがつらい。
つまり、「かわいい」だとか「きれい」だとか、どんな意図を込めたものでも記号的な「イメージ」としか捉えられていない。
昨日観た、さんまとたけしのハチャメチャなやり取りも、さんまとたけしが「ああいう関係」だと文脈を知ってる人があの芸を見るとアハハってなるのかもしれないけれど、その文脈を知らない私たち若者があれを見て、さんまとたけしの間にある関係を通り越してあの様子を記号的なイメージ「ひどい」「ありえない」に変換される。
そういう「イメージ」にしか捉えられない社会が嫌だ(って言うと疎外する事になるのでどうしようもない)。
「かわいい女の子」ならOK。
そういう世の中。
世の中に疑問を持った人が作品をつくる→「意味がわからん」「きもちわるい」
じゃあ結局自分が満足する作品を作っていくしかないじゃん→資本社会に飲み込まれて「商品化」する。
社会にどんどん飲み込まれていく。。。