昨日久々に(2年ぶりに)グッズ販売をしたから、そのあと帰ってきて体調絶不調になってしまい、12時間も寝た…(笑
今日もなんで頑張ってくる
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前の記事の続き
セックスが愛の最終地点なのか?という疑問を持って、<セックスは愛の最終地点ではなかった!>という答えを得た場合、どうするかなんですよね。
セックスでダメならば何をすればいいのか、っていうところで、うん、じぶんはわからないので、そこで絶望しちゃう。
ビットは最終地点だと思っていた、が、それは違った、何故ならジーンが最終地点だと思ってないから。じゃあジーンにとってセックスは何か、解は出ない。
好きなカップル/ペア/コンビの最終的な愛の形としてセックスしてしまえ!というのがあるけれど笑
物語の中のキャラクターもセックスを愛の最終地点だと思ってるんですよね。
それってすごく気にくわない笑
通常のラブストーリーであれば、セックスをした後に喧嘩したり別れたりするなど、<セックスは愛の最終地点である>というのを肯定して愛情度を下げるという構成。
でもじぶんが仕掛けたいなって思うのは、登場人物に<セックスは本当に愛の最終地点なのか?>という疑問を持たせたい。
これはじぶんからの疑問でもある(それをビットに課せているけど笑)
んで、ビットはそれを解明出来ずにジーンとの関係を終えてしまう。何故なら作者がそれを一番分かってないからです。
そこで、例の漫画「…すぎなレボリューション」では、その一つの答えが描かれています。じぶんはそれがすごく残酷だなって少し感じてしまいました。
…すぎなレボリューションの彼らも、セックスで本当の愛が得られなかったし、じゃあセックス無しで愛せるかと思ったらそれもダメだったんです。
セックスは確かに愛の記号ではあるが、そんな簡素化したものでは自分たちの愛を説明することができない。
だから彼らは最後あんな感じに…(気になる人は漫画購入!笑) すごくじぶんは悲しくなったね。(しかし、バッドエンドではないのです!)
この手のテーマに関しては貴族では語ってないと思う。貴族上のセックスの役割は従う者と従われる者の説明をしているので。
本当の愛って何だろう、という問いをじぶんはドラッグで誤魔化して、答えを曖昧に、、じゃなくて、見せなくしている。だって分からないから。
いやあチキンハーテッドいいなあ。
じぶんどうしても
立場は同じなのに、対比している、または
対比しているのに、立場は同じ
がめちゃくちゃ好きなんですね。
前者は貴族に当てはまるし、後者は麻薬に当てはまる気がする。
貴族は、
プラインとアイロニーは貴族<立場は同じ>なのに、貴族らしいか庶民らしいか<対比する> しかもそれが交差(逆転?)する。
麻薬は、
ジーンとビットは住む世界が全く違う人たち<対比している>けど、どちらともココロが弱くて逸脱に向かう人たち<立場は同じ>なんですよ。
ビットは自己コントロールが効いてしまったけど。
ぜんぜん違う創作に見えて、根本的なところがすごく似ているというか。あーーーさすが同じ作者が考えているだけあるなって笑