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「 創作 」
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無題
〜〜〜というように
ビットのことはよく知っていて
本当はジーンについて何も知らないのです。
どういった考えを持つ人なのか、
本来の性格はどうなのか、
何が好きで何が嫌いか

何も情報がない。
作者(じぶん笑)も決めることができない。


これとかもなんでコーヒーをぶっかけたのかよく分かんないです。

ただ、彼が麻薬を使う人だからというのでバリアされてる。
麻薬を使用しているから「コーヒーをぶっかけてもおかしくない」
麻薬を使用しているから「暴力をふふってもおかしくない」
麻薬を使用しているから「万引きしてもおかしくない」

麻薬を使っていることでジーンの本体が見えないし、すべての行動に「麻薬を使っているから」と理由付けがされてしまうんですね。

だから、始めから終わりまで「謎の人物」として終わるのです
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無題
じゃあ「自由と規律」は何に当たるのか、というと、

アメリカ社会におけるマイノリティ
同性愛、麻薬、ですネ

そしてそれらを抱えるのはビットだけ。
「美と醜」、「自由と規律」の問題を抱えるのはビット単体です。ジーンではなく。

そういう観点だと、ジーンの存在はただの飾りにすぎないかもしれない。

結論をゆうと、ビットはイコール自分なので、ひたすらその飾りについて考えるってだけの創作(急にショぼくなる)
無題
「美と醜」はじぶんが描きたいと思って置いたテーマ、「自由と規律」は彼らの舞台であるアメリカ社会であるからこそのテーマ。

「自由と規律」という舞台の上で、「美と醜」を語る。という感じ。
無題

いや〜〜ジーンはいいなあ。
じぶんが思う男性的なかっこよさと女性的なかっこよさを兼ね揃えてる感じ。
男性的なかっこよさとなると、ほんとは筋肉が欲しいけど。
肩幅を広めにして胸筋つけてることでそこはセーブしてます。


前回にも語ったけどどうも整理つかないので何度も語るが
ビットはゲイなのに何故にジーンに惚れたか。
確かにジーンに男らしさはあるんだけど、筋肉ムキムキの男性と比べたらジーンはさほど男性的要素は持っていないだろうって思う。

まず、綺麗な、しなやかな男性を好きになるゲイは少なからずいるんだろうけど、それがどういう条件、嗜好であるのかがわからない。
女性を好まず、女性「っぽい」男性を好きになるって、、、女性そのものは求めてないのに、男性に女性的要素を求めているというわけのわからないことになるので。

となると、ビットの方がきっとゲイの中でも変わった部類に入ってるんじゃないかと感じる。例えば、芸術をすごく理解できる人(そうとは思えない)

ビット程の大きな身体を持っていると、ジーンは抱いてもつまらないと思う。それに女性じゃないし。じゃあ身体目当てではない。
やっぱりビットはジーンの精神的なところで物凄く気に入っていて、憧れに近い形なんじゃないかなーーと(?)

となると、
ジーンのような人がビットの相手をする、というのも、ビットがジーンに対する羨望に含まれてる気もする。

「何で俺なんかの相手をするんだ??)と。
(↑これ、かなり自分勝手な言い様)


なんで相手をしてくれるんだろうと思いつつ、近づく。

ジーンを抱くときにもちろん
「かわいい」だとか、「クールだ、イケてる」といった感情は抱かない。

というか、じぶんが男同士を抱きつかせるのに、そういった感情は基本持たせないような気がする。圧倒的に互いの社会的な地位の格差があるために、どうしても「相手を支配したい」だとか「支配されたい」という見方に偏るので、「かわいい」とかじゃない。

よって、
ビットはジーンに対して物凄く支配的に感じていて(この極上の美には敵わないという考え方) それに支配されたいと考えてる。自由な支配者(→第三者視点)が縛られた者を支配する。物凄く矛盾なんだけど、結局ビットは自由人にはなれない。

これをまとめて「信仰」って言っちゃうんだけどねww

「自由」になりたいと誰かに縋り付く、縋り付いてる時点で自由の領域には入れないと思う。


また、ジーンは自由だと言ってるんだけど実際はそうじゃない。自由と思われてるだけで普通に生きている「つもり」

美と醜、自由と規律はテーマとして置いておきたいな〜
無題

今見るとこのぐちゃぐちゃ感やばい 言いたいことは合ってるんだけれども笑


ストーリー(初笑)

まず、なぜ貴族狩りがヴュルテンベルクに流れてるのかというと、
①領地奪うためにヴュルテンベルク侯がバイエルンの市民と貴族を戦争させるために「間接的に」貴族狩りを作った。
②バイエルンで市民と貴族との戦争が起こる
③市民が貴族にたいする怒りがあまりに大きかったために、貴族狩り集団がヴュルテンベルクに流れてくる
④盾としてヴュルテンベルク侯はアイロニー(一般市民)を代わりに侯爵につかせる
⑤戦争が起きる(第4章)

です。


まず、アイロニーが貴族側と市民側を担っており、プラインやディオール、貴族狩り、学校組やジュームらに接触していくことで段々市民側に移る。

プラインは最初、貴族狩りに関しては無知でした。
しかし、ヴュルテンベルクとバイエルンの相互関係や、そこにやってくるフランス軍によってじぶんの本当の立場を知り、市民側から貴族側へ移っていきます。
本来、軍は市民のために動くべきですけど、それよりも「貴族であることの重大さ」がプラインの中で勝ってしまうので。それは「アイロニーには貴族の血が通ってない」という事実も影響している。


そこで一つ、もうぐちゃぐちゃになっているのが、
19××年って書いてあるけれど、それ、服装や環境もろもろ見たら明らかにココだろっていうもので…(笑
本当はせめて18××年にしたい。
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