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※ゲームのネタバレ有り

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無題


禁断のABDアートです。
久々に創作描きました。創作描いた時はココに現れた糸思います。創作のことを呟けるのはここしかないので笑

やはり描きたい欲が凄い先行してしまいめしたね。。。今回からは宗教臭を減らしてみました。単純に兵士が描きたいだけだったんですけど、ランダムな男性では面白みに欠けるので、ABDにしてみました。

肩に天使を乗せ、目を黄色にすることで、ABDというルールにしてます。

ただ、少し自分の中で変更したいのは、宗教臭を減らすためにABDは外国人兵にしたいですね。

母国語が英語。
アラビア語も一応、現地での取得。
上官からアラビア語と英語の翻訳を頼まれます。

===

と、ほんとに今の時期、兵士しか描きたくなくてですね…(笑

過去の創作を振り返りながら、(過去の少年の絵を眺めながら)、同一人物とは思えないなって笑

この先ずっと、名無しの少年は描く事が無いんじゃないかなってくらいです。
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無題
まず、「フィクションだから」という添え書きの意味性は感じられない。
自分たちの国では、「フィクションだから」という言葉を添えて、殺人鬼を主人公にしたコミックなどを制作する。それは殺人鬼を擁護するものではないし、物語の被害者が批判の対象になって初めて議論される。
批判の対象が大衆にとって「善」か「悪」かで、コミックの受け取り方は変わる。
例えば、ひとに暴力をふるったり、お金を巻き上げたりという悪行を成すヤクザを排除する、という話であれば、コミック自体は「善」の内容として捉えられるし、、、目に入った動植物は全て殺しにかかるような殺人衝動を持った人間が主人公であれば、コミックは世の中に悪影響を与えるとて「悪」のレッテルを貼る。

そこでもう一度、自分が取り掛かろうとしている内容を振り返る。

まず、天使は本来、自分たちから姿を隠しているという記述が、コーランにはある。
それを「フィクションであるから」といって、天使を可視化させる。
果たしてこれは宗教自体の冒涜に当たるか?

一般のムスリムならば、許されるかもしれない。けど、自分が焦点を当てているのは、ムスリムが許さぬ存在としている組織の人間だから、彼らに「宗教の共有」を与えること自体がムスリムにとって良いと思わない。
無題
自分の作品を作る前に、調べる事が多い。
世の中の風刺画によって問題が起きているのが現実じゃないですか。
風刺画の中には対象をバカにしたりする要素が少なからずあるじゃないですか。
本人が風刺画と思ってなくてもそれを風刺画であると判断したら風刺画になってしまうのかもしれない。実際に、フランスにて風刺画の一件で殺害されたシャルブ氏は自身の作品を風刺画と捉えていなかった。
ネットにある「風刺画」はどのようにして「風刺である」と自分の脳が捉えるのか。
それを小一時間考えながら、スッと自分の作品を見た時、これを風刺と捉える人がゼロである可能性は絶対にない、と感じてしまった。

また、はすみとしこ氏という日本の漫画家がいる。現代社会の問題などを風刺画として描いている方です。
自分は彼女が×××(好きな版権作品)の動画製作者であったことをきっかけに、彼女の活動を注目していた。(当時は、何故政治的な活動に移行してしまったのか不思議でたまらなかった) つい目を惹いてしまうようなインパクトのある絵と強いコピーは、プロパカンダ活動としては適しているが、それによって敵を生みやすい環境にしているのが心配なところ。。。それほど「風刺画」というジャンルの効力は強いんです。

過去にはすみとしこ氏に対して感じてた「何故政治や社会に関わるのか(喧嘩を売るのか)」という疑問が、気がつかないうちに自分自身が対象になっているのではと気づかされる。

昔はそういう作品を描く人ではなかったのに、今では宗教のタブーに触れようとしている。

ツイッターで考えをまとめた後だったんですが、もう一度冷静に考えています。
(もし本当に続けるのであれば、自分は新しくアカウントを作成して匿名であげるでしょう……保険でね笑)
無題
一つ補足。。。

Abdの肩にいる天使はジブリールと想定している、と言いましたが、あくまでAbdの思い込みに過ぎないです。言ってしまえば、彼は幻覚を見続けています。
彼の肩の天使は彼の中に存在する「正しい信仰(組織的な信仰)」を象徴しており、天使と会話することは彼自身の自問自答にあたります。

それらは彼の中で蓄えられた薬が原因となります(ココ、Sugar Alleyの引継ぎです笑)
無題

Sugar Alleyの時もガイドラインを見ながらビクついて作品をアップロードしてたんですけど、ABDの場合はSugar Alleyの10倍、ガイドラインに対して怯えてる気がします(笑
これらの作品をお気に入りに入れてくれた人やコメントをくれた人のお国をチェックする、など・・・以前の創作活動では意識しなかったことを意識するようになって、自分は何故ここにたどり着いているのだろうか、、、と。。。笑

ABD、色々と整理してました。
どういう方向で画を描いていけば、なるべく少犠牲...で済むのか…という笑

この件に関しては本当にシビアなところなんですけど、苦情に屈してたらこの世で生まれたイスラームについての映画、書籍など存在しない…
現状、彼らのアート、コミックはそんなに無くて、あるとしたら風刺イラストとか…
また、Bakhit氏というヨルダンの起業家がアラブの若者に向けて対テロのコミックを制作していたりします。(その方のコミックを物凄く手に入れたく…笑)

で、自分の目的として、非人道的であるとされている彼らを”悪である”というところから一旦切り離し、単に一人の人間としてどのような体験をするのかを描いてみたい、というものがあります。

彼らの行動を描くのはあまり難しくないかもしれないです、基本行動がコーラン(現在読み中)に全て書かれているし、人によって曲解させることもできるので笑(組織的なコーランの解釈は存在するが、同時に人間的な解釈も存在できるので、ここで人間らしさを表現できる)
ただただ問題は、その解釈の出力で、不愉快さをなるべく抑えつつどのように描写するかっていう笑

そのために”シビアな図”を緩和させるようなモチーフを追加します。肩にいる天使とか、紫のアネモネがソレですね。

◆肩の天使はジブリールと想定しています。
イスラムにおいて人間と天使は同等な存在です。よってAbdが天使を崇めるようなことはありません。ジブリールはムハンマドとアッラーの仲介役です。ジブリールと会話ができるようになるということを、Abd自身は”ムハンマドに一歩近づいた”と解釈します。(ムハンマドの生き方はすべての人にとってお手本となっているため)

◆紫のアネモネについて、魔王魂さん制作の「ムラサキのアネモネ」という楽曲があるのですが、そこから影響受けてますね…笑



元々前からAbdと紫の花のイラストを描いていたんですけど、「ムラサキのアネモネ」の歌詞を聴いた時に、良いなと思い…紫のアネモネを固定させました笑 Abdを描くときに決まってこの曲を聴いてます笑
紫のアネモネの花言葉「あなたを信じて待つ」も、とてもいいです。
この花の存在で、Abdに女性を与えようと思いました。この女性が「妻」であるのか否か、そこは検討中です。Abdがそもそも、外国人か否か、自分の中ではっきりさせてないです。そこを決めると大分思想が変わりますからね…。


ざっくり、こんな感じに考えてますが、先ほどつぶやいたように、出力方法が難しいんですよね。
例えば、奴隷。戦利品。
「彼らの当たり前」としてこれらをしっかりと描写すると反感が飛ぶわけです。
だから、反感を買わずして描けない内容なので、それらを最小限に抑えるために表現力が必要になってくる…まあ、以上のことを大げさに書いてますけど、たかがアマチュアによる創作活動の悩みに過ぎないですからね笑

これをきっかけに自分自身がイスラム全体に興味を持てていることが嬉しいと思いながら描くのみです。
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